2011年8月31日水曜日

地理的要因で経済発展は説明できるか?モンテスキュー、ダイアモンド、サックスかく語りき





2回のエントリーに分けて制度と長期的な経済成長に関するAcemogluの考え方を彼のPPTに従って紹介した。今日は、その資料の中で触れられている別の仮説に触れたい。

紹介するのは地理的要因と経済発展の関係だ。








Geography hypothesis: Montesquie

Montesque:  
  • "The heat of the climate can be so excessive that the body there will be absolutely without strength. So, prostration will pass even to  the spirit; no curiosity, no noble enterprise, no generous sentiment; inclinations will all bee passive there; laziness there will be happiness,"
  • "People are... more vigorous in cold climates. The inhabitants of warm countries are, like old men, timorous; the people in cold countries are, like young men, brave".

彼はモンテスキューの言葉を引用しつつ、ひとつの地理的な仮説を紹介している。
簡単に言うと暖かい地域に住んでいる人は怠惰で、寒冷な地域に住んでいる人は勤勉であると主張している。そして、怠惰さと勤勉さは往々にして貧しさと豊かさに反映される。

さらにさらに、怠惰な人が多い地域は専制君主制で統治されることが多く、勤勉な人が多い地域は民主主義で統治されることが多い。しかるに、気候が温暖であるか寒冷であるかは統治制度を決める要因なんじゃないか。統治制度が長期的な経済成長に影響を与えるってのはかなりあり得そうだ。

と言う仮説。だそうだ。


まあこんな記事もある。









Geography hypothesis: modern versions

Jared Diamond:
  • Importance of geographic and ecological differences in agricultural technology and availability of crops and animals

Jeff Sachs;
  • "Economies in tropical ecozones are nearly everywhere poor, while those in temperate ecozones are generally rich" because !Certain parts of the world are geographically favored ... Tropical agriculture faces several problems that lead to reduced productivity of perennial crops in general and of staple food crops in paticular" ....
  • "The burden of infectious disease is similarly higher in the tropics than in the temperate zones"



0年代を飾るベストセラー『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンドは、著書の中で地理的な要因が現在の埋めがたい所得格差を説明していると論じている。もちろん白人様が優秀だったからじゃないって言っているわけ。
(余談だけど、この本を初めて読んだとき初期ストックk_0で長期なpathが決まるdynamicなマクロ経済学に似たような形で現在の世界が形作られている印象を持って一人ニヤニヤした。)



一方、これはおそらくサックスの論文からの引用だと思われる。
熱帯地域の国々は概して貧しい、一方比較的快適な気候の地域に豊かな国が集中している。こうした観察される事実を説明しようとする論文は山のようにある。

彼の仮説は、熱帯地域だと暑くて人の生産性が下がったり、病原菌がうようよしていたり、育てられる農作物が限定的だったりするわけで、その事が豊かになることを妨げているって言う話。

実証的な論文だとLatitudeを説明変数に長期的な経済成長を説明しようとしているものが多い。実際、Latitudeがこんなに頻繁に説明変数に使われているとはこの分野を知るまでは知らなかった。




さてこれらは仮説なわけでいろいろな論文で検証されている(し、それほど決着がついているようにも思えない)。これの仮説を見た時に何を思うか?

何かを記すというペースメーカー

何かしたら定期的に更新しなくてはならないと言う縛りは自身の思考を整理するには十分すぎるほどの補助輪になる。

脳内で完結し、文章化しないで理解したつもりになっていることの多くは人にうまく説明する事が出来ない。例え個人の中で理解していたとしても、説明することが出来ない限り世間様からは理解していないと言うありがたい評価をいただくことになる。

誰かの目につく形で思考を文章化することは普段山のように情報に触れている人ほどリターンは大きい。

何もかもきちんと整理するのは機会費用にペイしないだろうが、多様な情報に触れている人ほど自身に内化したい情報を選択し、またそれを深める権利を与えられる。そうして選択した情報を自分ではない何者かに伝わる形に加工しなおす段階で定着と言うものが得られるだろう。



ほとんどの人は怠惰だ。
自分が怠惰であると言う事を受け入れることから何事も始まるように思う。
大事なのは怠惰である自分を所与として如何に規律付けた行動に導くか、それを設計することだ。けっして規律正しい人間である必要性はない。(まあ規律正しい人間ほど強いコミットメントは必要ないというのは歴然とした事実だ。残念ながら統計的にも確認されている。)


僕は性善説も性悪説もないと考えている。
あるのは与えられた条件とそれに対する反応であり、重要なのはインセンティブだ。インセンティブに反応した結果が単に善と評価されるものであったり悪と評価されるものであったりするただそれだけのことだ。

それにしたって悪とか善とかだって酷く相対的で震えるほど曖昧だ。

2011年8月24日水曜日

【研究メモ】制度のproxy

Sambit(Journal of Comparative Economics, 2009) Unbundled institutions, human capital and growth

実証上institutionsのproxyに何を使うかが簡潔にまとめられていたのでメモ。


Rodrik(2005)ではinstitutionsを4つに分類している。


  1. market creating
  2. market regulating
  3. market stabilising
  4. market legitimising

Rodrikの分類に従い、それぞれに代理変数を立てて実証を行っている。



■Market creating

  • 何?:財産権保護、契約履行を担保する制度。
  • proxy: the ICRG law and order index

Market Creatingの要素は protecting property rights と enforcing contract の2つ。
先行研究でmarket creatingのproxyに採用されていたものは4つある。

  1. law index of Rodrik et al.(2004)
  2. expropriation risk of Acemoglu et al.(2001)
  3. executive constraint of Acemoglu and Johnson(2005) → property right institution
  4. legal formalism index of Acemoglu and Johnson(2005) → contracting institutions

ICRGを使う理由は

  1. 入手可能なデータの期間が長い(動学パネルにつかいたい)
  2. Contracting institutions の proxy が十分な長さを持ったパネルでみつからなかった

契約履行を担保する制度のproxyとして望ましいのは、契約履行させることに関わる費用である。
Acemoglu and Johnson(2005)では legal formalism を使っているがこれはパネルでは手に入らない。


ICRGはパネルで手に入り、かつ property rights と contract いずれも含んでいる指標。
本当は、それぞれ分けてproxyをたてたいが。




■Market regulating

  • 何?:市場の失敗を防ぎ、持続的な経済成長を促進するような制度
  • proxy : Gwartney and Lawson's (2005) composite index of regulation


■Market stabilising

  • 何?:インフレ圧力を抑制したり、マクロ経済のvolatilityを最小化したりするための制度
  • proxy : Gwartney and Lawson's (2005) sound money index

例えば中央銀行や為替政策、財政政策など。



■Market legitimising 

  • 何?:再分配、社会保障などに関する制度。 idiosyncraticなリスクに対して保険とも言える。
  • proxy : the Polity IV democracy index


以上。

ちなみに既存研究だとinstitutionsのproxyはこの4分類ではなくて、property rights institutions と contracting institutions だけを入れて実証していたりする。たとえば Acemoglu and Johnson(2005) など。

制度と経済成長:Acemoglu御大かく語りき2


国の豊かさの違いを説明する時に引き合いに出されるのは、物的資本・人的資本・技術・市場の質であると前回書いた(コチラ、資料はコチラのPDF)。
ではなぜ、貧しい国の人々はなぜ富める国になるために物的資本や人的資本を蓄積し、技術進歩を推奨し、望ましい市場を持たないのか?できないのか?

  • We need to understand why poor countries don't save enough, don't invest enough, don't develop and use technologies and don't have functioning markets. 
  • Potential answer: differences in incentives.


Acemogluによるとその答えはインセンティブにあり、そのインセンティブを形作るのが Institutions、つまり制度だそうだ。 では、制度とは何を指しているのだろうか?



  • Institutions: the rules of the game in economic, political and social interactions.



彼は経済活動などを行う上でのルール一般を制度と呼んでいるようだ。代表的なものは法律だろう。すでに近代的な法律が整備された世界に住んでいると気がつかないかもしれないが、財産権が保障されていないような国でまともな経済活動ができるだろうか?少なくとも私はごめんだ。

望ましい制度が整備される事によって人々は望ましい経済活動を行うインセンティブを持つようになり、それによって経済成長が促される。長期的な経済成長格差を説明するfundamentalな要因は制度であると言いたいらしい。


ひとつ例を出して結びにしよう。




彼が引き合いに出しているのは、所有権を保護を目的とする制度と対数をとった一人当たりGDPの相関だ(彼のスライドp7から拝借)。奇麗に正の相関が認められる。制度と豊かさの関係はどうやらクサいってわけだ(もちろん、アカデミックな論文で相関じゃなくてcausalityも検証しているよ)。

2011年8月15日月曜日

制度と経済成長に関する考え方:Acemoglu御大によると



経済成長理論を齧ったとか言う経済学徒がいたらAcemogluって知ってる?って聞いてごらん。もし知らなかったらそいつは相当モグリだ。そんなレベルで超一流な研究者であるところのD.Acemogluって先生がMITにいる。彼は2000年以降、経済成長と制度の関係について理論・実証ともに研究を進めてきている。こうした分野に関する彼の考え方が2009年のプレゼンテーションで完結まとめられているのでレビューしよう。


The Key to Economic Growth:Why Some Nations Flourish While Others Fail
(こちら:PDF)

21世紀になったってのに世界にはビックリするくらい貧しい国が山のように存在している。そんな埋まらない所得格差(平均年収がアメリカ人のn分の1だ何てげっそりするような比較を持ち出されること請け合いだ)は何によって説明できるだろう?キチンと成長理論を学んできた人なら次の4つをあげるだろうね。


  1. Physical Capitalが足りない(貧しい国って十分に貯蓄できないんだよね)
  2. Human Capitalが足りない(貧しい国って教育とかスキルに十分投資できないんだよね)
  3. Technologyが遅れてる(貧しい国ってR&DやTechnology Adoption十分にできないんだよね)
  4. Marketが悪い(途上国ってば金融インフラもクソだし、情報もぐじゃぐじゃ、市場メカニズム上手く働いてないみたいだね)

素晴らしい。ごもっとも! Solow Model でも Optimal Growth Model でも もうちょっとめんどーなら Endogenous Growth Modelでも (そーりー知らなかったらコレとかコレとかもすこしあれならコレとか眺めてくれ) そうだけど、上の4つは長期の成長率に随分と決定的な影響をおよぼすよね。


でも良く考えてごらん。何で貯蓄しないと(できない)?何で教育に投資しない(できない)?何で技術を受け入れない(受け入れられない)?なんで市場はまずい事になってる?上の4つが長期的な経済成長に対して死ぬほど重要なことは山のような研究によって結構な確度で確かめられている。じゃあ、そんな大事な4つの要素が欠けちゃう原因って?? 


Potencial AnswerはIncentiveって言ってる。
そしてそのIncentiveを作るのがInstitutionsだって話にもってくわけ!
って事で続きは次の記事に譲るわけ(ワイン飲んでるから

2011年8月13日土曜日

Ellsberg paradox and Harmful Rumor

エルズバーグの心理実験の事は聞いたことがあるかな?
人間がリスクよりも不確実性を忌避する事を示した有名な実験だ。





以下のような選択に迫られたらあなたは何れを選択するだろうか?

箱Aには合計100個のボールが入っている。ボールは赤と黒の二種類。それぞれ50個ずつ入っている。一方、箱Bにも合計100個のボールが入っているが、赤と黒の割合は不明だ。
黒を引いた幸運な貴方には1億円が 贈られる。クジは一回しか引けない。
さて貴方は箱Aと箱Bいずれに手を突っ込む??


おそらく貴方は箱Aを選んだのではないだろうか。
この実験でも多くの場合、人は箱Aを選ぶし、これはかなり頑健に観察される結果なのだ。不思議なことは確率的には黒を引く確率は箱Aでも箱Bでも同じであると言う点にある。客観的な当たりの確率は同じであるにも関わらずかなり多くの人が箱Aを選ぶ原因は何だろうか?

曖昧性回避
人々が忌避したのは曖昧さだ。箱Bの中の黒と赤の割合が分からないと言う曖昧さが受け入れがたかったのだ。確率が付与されないもの、自身では測りかねること、主観的に未知である事に対して人はそれを避けようとする性質があるようだ。




こうした事が昨今の風評被害を説明する一つの手立てになるように感じられる。

今私達が食料品出荷規制で直面しているベクレルだシーベルトだという放射線の値を上昇する発がんリスクに対応付けると驚くほど低い事がわかる。ほんの0.00X%しか発がんリスクが上がらない放射線量であっても人々は検出されただけで驚くほどその製品を避けてしまう。本来であれば、酒や食習慣、タバコといったリスクのほうが発がんに対してはるかに大きいのにである。


人々が忌避しているのは、ここでもまた曖昧さではないだろうか?
正直言ってベクレルだシーベルトだという値が客観的にどの程度の発がんリスクに対応しているのかをキチンと認識している人はそれほど多く無い様に思う。少なくとも家計の食材ポートフォリオの管理を担う主婦の多くはそうであるように感じられる。なにせ、調べるのが面倒くさい。

シーベルトだベクレルだなんだかんだ言われてよく分かりません!だからよく分からないので取り敢えず出たらいやだ!!こわい!!!

だとすると、ベクレルやシーベルトならびにそれらによってどの程度の発がんリスクに晒されるのかと言う情報提供の仕方を改善するだけで人々の極端な行動は改善されるのではないだろうか。曖昧さを回避してきちんとした客観的確率を与えれば人々はより望ましい行動を取ると僕は思うし、市民はそれほどアホでもない様に思う。

2011年8月9日火曜日

Twitter Conflict and Google+



Twitterdeでつまらない事を呟くなという不可解な主張がある。
どんな所が不可解に感じられるかと言うとこんな感じだ。


  1. 誰を見るかは自由だ。強制的に見せられているわけではない。
  2. 誰もあなたの為に呟いている訳ではない。
  3. ご親切なことに最近はミュートと言うハッピーな機能まである。


誰を見るかと言う選択の自由はあなたにある。例え付き合いで見たくもない人をフォローしなくてはならない不幸に見舞われたとしても、リストで如何様にも対応できる。最近では、よりセンシティブな皆様方のためにミュートだなんて大発明を搭載したクライアントも増えてきている。
また、誰もあなたの為にTwitterをやっている訳ではないと言う点に自覚的だろうか。有名人であれば、ファンが持つ期待値に対して幾ばくかの責任(もしくは自らの実利)が生じるようにも思われるが、基本的に一個人が運用するプライベートなTwitterアカウントに誰かを楽しませる義務はない。

しかし、こうした不満が起きる理由も理解出来ない訳ではない。
Twitterの便利な機能を前提にしたとしても、その事を主張する人ほどリアルな人間関係をTwitter上でも強いている。







リムーブしたからと言って人間関係が悪化するだろうか。あなたのブログをあなたの友人がRSSに登録してくれなかったからと言って、断絶已む無しとは考えないだろう。
リムーブによって関係が悪化すると思い込んでいる人は、少なくともお互いがそうなると認識していると認識している人との人間関係を現実の延長としてTwitter上で構築している可能性が高い。
くだらない呟きがTLを占拠する不快感と人間関係を鑑みるとそれを駆除出来ないと言う制約に板挟みにされ、しかるに不満が表出する。

Twitterは情報ツール、コミュニケーションツール、余暇を楽しむコンテンツと様々な用途に対応するし、どれに比重を置くかは人それぞれだ。私見だが、Twitterが現実の人間関係に強い関連性を持つと考える人ほど上で考えたような不満を表明しているようにも感じられる。そう感じるかどうかは本人の自由としか言いようがないが、適切な対処手段が無料で提供されている事を考えると、それは自身のITリテラシーのなさを表明している程度の情報しかないと言う点には気がついたほうが望ましいように思われる。

やはりGoogle+か(こう落としたかっただけだ

2011年8月8日月曜日

雑感:紙媒体→電子書籍で変わったと感じる事


電子書籍にして自分の中で変わったなと思うことが2つある。

  1. 新聞を定期的に読むようになった
  2. 新聞や書籍に関わらず、紙媒体より電子媒体の方がザクザク飛ばし読む
1に関して
就職活動だなんて言う脅威に晒されていた時分であっても、その怠惰なる性格に打ち勝つことは能わず、私は新聞を読みはしなかった。世間知らずなマヌケであったかどうかは当時の面接官のみぞ知るが、紙媒体の新聞という情報チャネルが無いとしてもwebを通して幾らでも情報は手に入れられるだろうというスタンスをとっていた。グダグダ言っているが、何よりもあのぐしゃっとする【新聞】と言う紙媒体が大嫌いだったのだ。読みにくい。汚い。

マヌケな事に私が日経新聞電子版を読むようになったのは脅威が去ってからだいぶ経てからだ。全く読む気がしなかった新聞も随分定期的に読むようになったものだ。気になった記事はEvernoteに切り取っておくなんて小賢しい事までしている始末である。WSJでもNYTでも日経でもブルームバーグでもいいがまあ読んでて楽しい。

結局のところ私が忌避していたのは、くだらないコンテンツに時間を奪われるという事ではなく紙媒体の煩雑さだったのだ。


2に関して
これは新聞に限らず本でも何でもだが、電子書籍の方が気兼ねなくとばし読みするようになった気がする。緩急をつけてポイントを抑えて読みなさいとは良く聞くもののいざ紙の本を手にとったら存外それが出来ていなかった様にも思える。
この変化は何に起因しているのかはまだ判然としていない。本は丁寧に読むべしという刷り込みでもあるのだろうか。一方、ウェブ上の情報はザクザク飛ばし読んでなんぼなスタンスでもある。この慣れの違いは存外大きいのかもしれない。

2011年8月6日土曜日

先進国が取り組むマイクロファイナンス

マイクロファイナンスと聞くとユヌスとグラミン銀行を思い浮かべる人は多いかもしれない。今もマイクロファイナンス機関(MFI)の中心は途上国現地の組織と言えるが、最近では先進国の金融機関や事業会社が参入するケースも増えてきている。


以下の報告によると、先進国の企業が新興国におけるマイクロファイナンス事業に携わる形態は大きく3つに分類できる。

野村総合研究所 NRIオピニオン 金融ITフォーカス2010年6月号マイクロファイナンスへの事業機会を探るhttp://www.nri.co.jp/opinion/kinyu_itf/2010/pdf/itf_201006_5.pdf



  1. MFIをチャネルとして新興国市場に金融商品を提供する
  2. MFI向けのオペレーション改革案件
  3. MFIへの投融資

1について

新興国でチャネルを獲得すること、現地の商習慣を理解すること、こう言った事を手早くかつコストをかけずに行うにはやはり現地の機関とパートナーシップを築くことが肝要だ。これはBOPビジネスのコンテキストではよく触れられる事である。パートナーシップを組むMFIとしても先進的な金融商品を開発する必要がなくなるため利点は大きいだろう。


2について

マイクロファイナンスに限らず低所得層を対象としたビジネスはコストとの闘いである。彼らの貧弱な購買力を前提に商品を作り、かつ利益を上げるためにはコスト削減は非常に重要な条件となる。不幸な事に、彼らは都市部に集積してなく、また社会インフラも整っていない場所に分散して住んでいるために取引コストはどうしても上がってしまう傾向にある。こうした問題を解くカギはITにある。


3について

先進国の投資家からすると直接的にMFIに投資することは情報が不足しすぎていて無理があった。そこでマイクロファイナンス投資ビークルを作り、先進国の投資家もMFIに投資しやすい仕組みを作っている。日本国内では、大和証券とLIVING IN PEACEが有名である(と、言うかこの二つ以外にやってる?)。ここ五年間で言えば安定したリターンをもたらしているし、先進国の景気と相関が低いために分散投資効果も期待できる点は強調されている。



それぞれのケースに関して、次は事例を紹介したいものの私たちは不確実性に直面しているためにそれが確実に執筆される保証はない。

2011年8月5日金曜日

Black Swan : Prologue



金融危機後に大分話題になったブラックスワンだけれども、今更ながら手に取ってみた。

中身には一切触れたことがないにも関わらず、twitterやらblogやらで大方の中身が伝わってくるのは便利なのかロスなのか。とは言え、ほんとかどうか事前に僕が聞いていた内容は大方こんなもんだった。


  1. 現実の世界のリスクを正規分布で近似すると誤りを犯しうる。現実は、我々が思っている以上にファットテールなんだ。
  2. 件の金融危機だが、事前にリスクを評価して作った金融商品や各種の制度、取引は【経済全体が一気に機能不全になるシステミック・リスク】を加味して作られていなかった。
  3. リスクを完全に管理することは出来ない。我々は不確実性に直面しなくてはならない。ではどうする。

これが正しいかどうかは知らないのでこれから読み進めていって検証しなくてはならない。

なぜ今更ながらブラックスワンを手に取ったかと言うと、昨今の経済事情が非常に不確実性にあふれて来たからだ。アメリカの債務不履行もそうであるし、ユーロ圏のソブリンリスクもそう。このタイミングで金融危機と異なったブラックスワンが舞い降りそうであるからして、今読み始めたら面白そうだろうと思ったのだ。


プロローグからして正規分布の密度関数『ベル型カーブ』を『壮大な知的詐欺(Great Intellectual Fraud)』と呼ぶもんだから、案外と読ませ方もうまい著者であると思った。彼に言わせれば、こうした正規分布に基づいた推論は『不確実性を飼いならしたような気にさせる』ものにすぎないと。

これから読むのが楽しみであるが、遅々として進まない読書生活、新たなブラックスワンが舞い降りる前に読み終わるのだろうか。


余談だが、映画『ブラックスワン』はこの本を映画化したものだと当初真剣に思い込んでいたし、一体どうやってこんな本を映画化するのかと考えたりもした。ちなみに映画『ブラックスワン』は素晴らしい映画だった。