何かしたら定期的に更新しなくてはならないと言う縛りは自身の思考を整理するには十分すぎるほどの補助輪になる。
脳内で完結し、文章化しないで理解したつもりになっていることの多くは人にうまく説明する事が出来ない。例え個人の中で理解していたとしても、説明することが出来ない限り世間様からは理解していないと言うありがたい評価をいただくことになる。
誰かの目につく形で思考を文章化することは普段山のように情報に触れている人ほどリターンは大きい。
何もかもきちんと整理するのは機会費用にペイしないだろうが、多様な情報に触れている人ほど自身に内化したい情報を選択し、またそれを深める権利を与えられる。そうして選択した情報を自分ではない何者かに伝わる形に加工しなおす段階で定着と言うものが得られるだろう。
ほとんどの人は怠惰だ。
自分が怠惰であると言う事を受け入れることから何事も始まるように思う。
大事なのは怠惰である自分を所与として如何に規律付けた行動に導くか、それを設計することだ。けっして規律正しい人間である必要性はない。(まあ規律正しい人間ほど強いコミットメントは必要ないというのは歴然とした事実だ。残念ながら統計的にも確認されている。)
僕は性善説も性悪説もないと考えている。
あるのは与えられた条件とそれに対する反応であり、重要なのはインセンティブだ。インセンティブに反応した結果が単に善と評価されるものであったり悪と評価されるものであったりするただそれだけのことだ。
それにしたって悪とか善とかだって酷く相対的で震えるほど曖昧だ。
2011年8月31日水曜日
2011年8月8日月曜日
雑感:紙媒体→電子書籍で変わったと感じる事
電子書籍にして自分の中で変わったなと思うことが2つある。
- 新聞を定期的に読むようになった
- 新聞や書籍に関わらず、紙媒体より電子媒体の方がザクザク飛ばし読む
1に関して
就職活動だなんて言う脅威に晒されていた時分であっても、その怠惰なる性格に打ち勝つことは能わず、私は新聞を読みはしなかった。世間知らずなマヌケであったかどうかは当時の面接官のみぞ知るが、紙媒体の新聞という情報チャネルが無いとしてもwebを通して幾らでも情報は手に入れられるだろうというスタンスをとっていた。グダグダ言っているが、何よりもあのぐしゃっとする【新聞】と言う紙媒体が大嫌いだったのだ。読みにくい。汚い。
マヌケな事に私が日経新聞電子版を読むようになったのは脅威が去ってからだいぶ経てからだ。全く読む気がしなかった新聞も随分定期的に読むようになったものだ。気になった記事はEvernoteに切り取っておくなんて小賢しい事までしている始末である。WSJでもNYTでも日経でもブルームバーグでもいいがまあ読んでて楽しい。
結局のところ私が忌避していたのは、くだらないコンテンツに時間を奪われるという事ではなく紙媒体の煩雑さだったのだ。
2に関して
これは新聞に限らず本でも何でもだが、電子書籍の方が気兼ねなくとばし読みするようになった気がする。緩急をつけてポイントを抑えて読みなさいとは良く聞くもののいざ紙の本を手にとったら存外それが出来ていなかった様にも思える。
この変化は何に起因しているのかはまだ判然としていない。本は丁寧に読むべしという刷り込みでもあるのだろうか。一方、ウェブ上の情報はザクザク飛ばし読んでなんぼなスタンスでもある。この慣れの違いは存外大きいのかもしれない。
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