人間がリスクよりも不確実性を忌避する事を示した有名な実験だ。
以下のような選択に迫られたらあなたは何れを選択するだろうか?
箱Aには合計100個のボールが入っている。ボールは赤と黒の二種類。それぞれ50個ずつ入っている。一方、箱Bにも合計100個のボールが入っているが、赤と黒の割合は不明だ。
黒を引いた幸運な貴方には1億円が 贈られる。クジは一回しか引けない。
さて貴方は箱Aと箱Bいずれに手を突っ込む??
おそらく貴方は箱Aを選んだのではないだろうか。
この実験でも多くの場合、人は箱Aを選ぶし、これはかなり頑健に観察される結果なのだ。不思議なことは確率的には黒を引く確率は箱Aでも箱Bでも同じであると言う点にある。客観的な当たりの確率は同じであるにも関わらずかなり多くの人が箱Aを選ぶ原因は何だろうか?
曖昧性回避
人々が忌避したのは曖昧さだ。箱Bの中の黒と赤の割合が分からないと言う曖昧さが受け入れがたかったのだ。確率が付与されないもの、自身では測りかねること、主観的に未知である事に対して人はそれを避けようとする性質があるようだ。
こうした事が昨今の風評被害を説明する一つの手立てになるように感じられる。
今私達が食料品出荷規制で直面しているベクレルだシーベルトだという放射線の値を上昇する発がんリスクに対応付けると驚くほど低い事がわかる。ほんの0.00X%しか発がんリスクが上がらない放射線量であっても人々は検出されただけで驚くほどその製品を避けてしまう。本来であれば、酒や食習慣、タバコといったリスクのほうが発がんに対してはるかに大きいのにである。
人々が忌避しているのは、ここでもまた曖昧さではないだろうか?
正直言ってベクレルだシーベルトだという値が客観的にどの程度の発がんリスクに対応しているのかをキチンと認識している人はそれほど多く無い様に思う。少なくとも家計の食材ポートフォリオの管理を担う主婦の多くはそうであるように感じられる。なにせ、調べるのが面倒くさい。
シーベルトだベクレルだなんだかんだ言われてよく分かりません!だからよく分からないので取り敢えず出たらいやだ!!こわい!!!
だとすると、ベクレルやシーベルトならびにそれらによってどの程度の発がんリスクに晒されるのかと言う情報提供の仕方を改善するだけで人々の極端な行動は改善されるのではないだろうか。曖昧さを回避してきちんとした客観的確率を与えれば人々はより望ましい行動を取ると僕は思うし、市民はそれほどアホでもない様に思う。
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