2012年3月27日火曜日

Hermesの「ナイルの庭」はどの様に生まれたか

前回は、ジャンクロードエレナの本のレビューを行った。今回はその続き。
芸術と産業としての香水:ジャン・クロード・エレナ(Jean Claude Ellena) のお話

以下の一節は、エレナが一つの香水を作る時にどんな信念を持ち、どの様にインスピレーションを得ているのかがよく表されている。多くの調香師がそうであるように、彼も各地への旅行と自然からインスピレーションを得ることが多いようだ。

私は匂いの剽窃者、盗人、そして掠奪者だ。自然は私にとっては、きっかけ、出発点だ。しかしインスピレーションの源や創造の息吹ではない。太陽は昇り沈むのは、どこであろうと美しい。どこからどのように見るかというだけの問題なのだ。私は香水のなかで、お茶や小麦粉、いちじくを自然のままに再生して人を驚かせようとはしない。香水をつくるとは、匂いを解釈し、記号に変換することである。この記号が意味を伝えるのだ。(P69)

こうした香水作りの一つの例として、彼が手がけたエルメスの香水があげられている。


2005年、エルメスの「ナイルの庭」のテーマを選んだのは、アスワンのナイル川のなかの島の庭を散歩しているときだった。マンゴーの並木道、五月。マンゴーの木の枝は青い果実の重みでたわみ、果実が手の届くほど低く垂れていた。ひとつ、実をもいだ。花床から透明な乳液があふれ出た。鼻に持っていった。匂いに魅了された。樹脂、オレンジの皮、グレープフルーツ、にんじん、オポポナックス、杜松、酸味のある匂い、強い匂い、優しい匂いなど、匂いのイメージがあふれ出てきた。抗わず、感覚を愛撫されるままに、匂いを自分のものにする。この喜びと感覚を、私と一緒にいる人々と分かち合いたい。こうしてテーマが決まった。(P70)

この文章からも匂いたつ様だ。ナイル川のマンゴーの青い果実からインスピレーションを得たようだが、その一つの匂いから非常に多くの着想を得ていることが分かる。何よりこの文章だけでも、彼が作った香水をどうしてもかいでみたいと思わされた。と言うわけで、



この庭を、紋切型ではない方法で物語りたかった。青いマンゴーの匂いが記号となり、ナイルの島の庭の象徴となった。あとになって、エジプトではこの果実のたまに年に一度のお祭りがあることを知った。(P71)

新宿の伊勢丹に行って実際に匂いを試してきた。彼はエルメスで既に庭シリーズとして4作品を出しているが今回はナイルの庭と四作目の屋根の上の庭を試してきた。ナイルの庭は、トップノートはグリーンマンゴーとロータスフラワー、ミドルはイグサ・シカモウッド、ラストノートはインセンス・シクラメンウッドと言う構成。

節度ある甘さとグリーンマンゴーの青い匂いからユニセックスな印象もある香水だった。家に帰ってきて匂いをつけてもらった紙を再びかぐと、パウダー系の香りが際立っていたが心地良い甘さだった。


匂い自体も素晴らしいものの、こうした創作の背景、ストーリー付けも香水という製品を考える上では重要な要素であると体感できた。単に匂いだけを与えられてこうした着想をr得られるほど消費者の多くは感受性は豊かではないのだ。

■香水が芸術たるには

香水がひとつの完全な芸術表現のかたちとして認められるには、批評が不可欠である。ただ調香の原料を明かし、列挙して、描写するだけではない。料理のレシピーを読んだだけでは、完成した料理の味を舌で味わえないのと同じことだ。そうではなくて、香水を、その表現、独創性、クオリティー、私が文体とよぶ「香水の書き方」で、判断するのだ。文体こそ、香水を、それを調合した調香師から区別するものである。こうした批評を受けて、調香師は香水作りをたえず見直すことになる。市場では、あらゆるブランドが他のブランドと競争せざるをえない。つかのまの状態にすぎない目新しさよりも、差別化のほうが重要になる。差別化によって、ブランドの永続性も保たれる。(P91)

芸術たるには生産者だけではなく健全な批評家が必要だろう。評価をする上では、それを表現する語彙が必要になる。これが既に確立されている分かりやすい例はワインだろう。どうやら香水の批評に関してはまだこうした共通語彙が浸透しきっていない様だ。良質な批評と競争にさらされることで、より独創的で美しい香水がまだまだ現れる余地があると考えるとまた楽しそうだとも言える。

芸術と産業としての香水:ジャン・クロード・エレナ(Jean Claude Ellena) のお話


先日、調香師ジャン=クロード・エレナの本を読んだのでそのレビューをした。
調香師というプロフェッショナルな世界:ジャン=クロード・エレナを知ってるか?
図書館から借りてきた本で返却が近づいてきたので、気にった箇所を抜粋して振り返ってみよう。

この時代、高級香水の世界は、直観的な商品化、香水名と香水そのものに対する信仰、限定生産というやり方から、「需要」のマーケティングへと移行した。直観的な商品化の特徴は、ライフスタイルに応じてターゲットにする社会階層を選ぶことである。「需要」のマーケティングでは、競合製品、市場、文化・経済・社会環境を分析する。陶酔、幻想、パッションといったものを記号やシンボルのかたちに具体化して、欲望の対象をつくる、これがマーケティングの戦略だ。(P19)

「この時代」は1970年代を指す。最初の章では、産業としての香水がどのように発展してきたかが振り返られる。19世紀末の香水は、バラやジャスミンと言った実在する匂いの単なる模倣に過ぎなかったが、徐々に人々の「需要」に応じて、ライフスタイルに応じて、より複雑でイメージを掻き立てられる香水が作られるようになって来たことが分かる。

ひとつの素材のクオリティーのおかげで、ひとつのフレグランスが独創的になるということはあるかもしれない。だが、いずれにせよ、「美しい」ジャスミン、「美しい」バラ、「美しい」合成分子が美しい香水をつくるのではない。香水の美しさは、原材料の足し算から生まれない。原料や素材を理解し、使い、並置し、そして原料や素材に自分を再現させる、そこから、香水の美しさが生まれる。(P48)

「美しい」原料を使ったからと言って「美しい」香水が出来るわけではない点は、「美しい」染料を使っても「美しい」絵画が出来る訳ではない、「美しい」音を奏でる奏者を並べても「美しい」音楽が生まれる訳ではない点と共通だ。そこにこそ調香師、画家、作曲家の価値がある。この本の中でエレナは「匂いの作曲家」たりたいと書いているがまさにその通りだ。

この本の中では、彼が新たな香水を作るときにどの様に着想を得、どういった考えに基づいて香水を想像しているのか、エルメスの「庭シリーズ」を引き合いに説明している。少し長くなったので、これに関しては次回に回そう。

Hermesの「ナイルの庭」はどの様に生まれたか

2012年3月26日月曜日

大学院を修了し

前回の更新から早ひと月。この間、新居への引越しなどでバタバタし、あっという間に一ヶ月ほど経過してしまいました。そうこうしている間に先日大学院の修了式を終え、修士課程を修了することが出来ました。結果的に博士課程には進学しませんでしたが、得るものが多い二年間だったと思います。

修士課程まで進学して民間に出るのであれば、抽象的で実務には役立たない経済学なんて専攻せず、ロースクールやMBA、会計職大学院など直接的に役立つ分野に二年間を投じたほうが懸命だったのではと思う方も多いでしょう。コンサルティング業界なんてものに進むなら尚更でしょう。

しかしながら、こうした抽象的な(実際には統計的な分析も行うので現実に則したものですが)分野だからこそ、そこで身に付けられる考え方は適用範囲が広く頑健で陳腐化しにくいものだと感じています。
学位記授与式で研究科長も同様な事を仰られていました。法律や会計、経営学が研究対象としているもの全てを対象とするのも方法論で定義される経済学の特徴でしょう。ある社会現象が発生するそのメカニズム自体を対象とする点、最適を定義し一貫性を持って強いロジックを作れる点を強調するあたりは流石にミクロ経済学者だなあと感じました。




僕の周りには研究者としてやっていくと決心しきれないために大学院に進むことを迷っている人がそこそこ居ます。そう云う人は、二年間の学費をファイナンス出来るなら進学してみてはどうだろうかと思います。なぜなら、進学してみてこそ研究者を目指す道がどれほど大変かも実感するでしょうし、人によっては学部の段階で思っていた以上にのめり込む人もいるでしょう。修士の段階ならある程度の大学院であれば、今の日本の労働市場では博士ほど致命的でもありません。

ある学問を学ぶときにそれが役に立つかどうか、随分矮小な話をしてしまった感もありますが、シンプルにもっとこの分野を勉強したい!と言う風に思えたことが進学の一番の決め手だったのかも知れません。その気持を汲みとって進学を許してくれた両親に感謝したいと思います。

さて、四月からは全く違う生活が始まる訳ですが一体どうなる事やら。