2012年2月22日水曜日

調香師というプロフェッショナルな世界:ジャン=クロード・エレナを知ってるか?



ジャン=クロード・エレナと言う調香師を知っているだろうか?2004年からエルメスの専属調香師を努めている有数の調香師だ。エルメスの専属調香師となる以前もエポックメイキングなフレグランスを数多く手掛けてきている。ちょうど彼の本を手に取ったのでレビューしてみよう。




ひとつの素材のクオリティのおかげで、ひとつのフレグランスが独創的になるということはあるかもしれない。だがいずれにせよ、「美しい」ジャスミン、「美しい」バラ、「美しい」合成分子が、美しい香水をつくるのではない。香水の美しさは、原材料の足し算からは生まれない。原料や素材を理解し、使い、並置し、そして原料や素材に自分を表現させる。そこから、香水の美しさが生まれるのだ。


この本では彼が香水を作る時にどういったモノからインスピレーションを得、どういった信念をもって調合しているかを垣間見る事が出来る。本人も形容しているように調香と言う創作活動が作曲に近いものだと強く感じた。馴染みの香水にどのような背景があるのかを知ることでより親しみを持つことができるようになるだろう。

例えば、彼が2003年から手掛けているエルメスの庭園フレグランスシリーズ((『地中海の庭』、『ナイルの庭』、『モンスーンの庭』、『屋根の上の庭』)はどんな香りかすごくかいでみたくなった。





さまざまな分析のパラメーターのなかから、どのパラメーターにするかは、ブランドのターゲット市場の望むプロフィールに合う理想的なダイアグラムの香水をつくりあげなくてはならない。調香師は、さまざまなパラメーターに従って匂いを選び、あるいは省きながら「カーソル」機能を使って、調香していく。
こうして調香師は、製品開発するうえでの繊細な個人的判断と創造的方法からは遠ざかることとなった。
(このような)「良い」香水は、すぐその製品とわかり、驚きはもたらさない。瞬時に、同化するように受け入れられる。



もう一つ面白い点は、香水を取り巻く競争環境、マーケティング戦略と香水の関係の変遷や知的財産権の問題と言う事に言及している点だ。
マーケティング戦略に従い多くの人々にうける「良い」香水を作るという事と真に独創的な作品を作るということのトレードオフに言及しているが、これはマーケットインかプロダクトアウトかと言う最近の議論とまったく同様だ。
また、香水のレシピに関してまだ知的財産権がきちんと確立していない点に関してはなかなか驚いた。香水の本場フランスの判例では、音の商標と異なり、匂い商標(marque olfactive)は、それが図案的に表現することが不可能であり、またそれ自体で権利者の商品を他社の商品と識別する力も持たないという理由から、認められていない そうだ。こうした香水の知的財産権の問題に関してはどうやらいまだ進行中の問題なようだ。





惜しむらくは訳がいまいちな点でしょうか。とは言え調香師と言う普段馴染みがないプロフェッショナルの世界を垣間見る事のできるこの本の価値をそれほど下げるほどでもない。

2012年2月19日日曜日

【Macroeconomics編】ふ、ふつくしい!!経済学のテキスト表紙まとめ

経済学の洋書のテキストは表紙がとても綺麗なものが凄く多い。買ってみたもののあまりに難解で挫折したが眺めているだけでウットリ、そんな経験はないだろうか。わたしはない。

そんな見ているだけでも楽しい経済学のテキストの中から今日はマクロ経済学編をお届けしよう。他にも何かオススメがあったら教えて下さいな。

【1】Benassy "Macroeconomc Theory"

こちら
のっけから印象派の絵でも思い出す様なテキスト(いや、美術に疎いわたしが知らないだけでれっきとした美術品の可能性が)ちなみにBenassy先生は確かフランス人なのでそんな雰囲気が。

【2】Benassy "Money, Interest, and Policy"
コチラ
Benassy先生と言えば Non-Ricardian Economy におけるDSGEを扱ったこちらのテキストの表紙もお気に入りだ。ちなみに財政の発散とか扱ってるのでトピックとしてはホットかも?

【3】Scarth "Macroeconomics"
コチラ
いかにも勉強する気を削ぐようなこの表紙は一体。。

【4】DeJong "Structual Macroeconometrics"
コチラ
素敵な表紙だがタイトルとの乖離感が甚だしい逸品

【5】Barro "Macroeconomics"
コチラ
Barro御大の学部向けテキストだ。中々綺麗な表紙で気に入っている。

【6】Barro "Economic Growth"
コチラ

Barro御大と言えばこの成長論のテキストも忘れてはならないw

【7】LS "Recursive Macroeconomic Theory"
コチラ
モダンな印象の表紙がクールだが内容もモダンで投げ出したくなる人が続出する定番テキストだ。

【8】Bagliano "Models for Dynamic Macroeconomics"
コチラ
個人的にこれが知っている中でいちばんカッコイイって思ってる異論は受け付けている

【9】Wickens "Macroecomics"
コチラ
赤と青の対比が美しいこちらのテキストも中々好きだ。

【10】Galor "Unified Growth Theory"
コチラ
成長や開発の大家Galorのテキスト。何となく成長論のテキストってこう云う風味の表紙が多い。ちなみに読んだことがなかったので是非読みたい。

【11】Bewley "General Equilibrium, Overlapping Generations Models, and Optimal Growth Theory"
コチラ
Incomplete market の研究でもおなじみBewley先生のテキストは内容と中身の乖離は少なそうだw

【12】Michel "A Theory of Economic Growth: Dynamics and Policy in Overlapping Generations"

コチラ
Benassy先生といいフランス人の先生のテキストってこれなんだねw
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そんな訳でマクロ経済学編でした。何か気に入った表紙はありましたかね?

2012年2月18日土曜日

不買運動は児童労働を減らすのか?

と言うタイトルの論文を発見したので簡単に紹介しよう。
Journal of Development Economics 2009
Volume 88, 2009, 217-220
"Is product boycott a good idea for controlling child labor? A theoretical investigation"
Kaushik Basu and Homa Zaghamee
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0304387808000850
途上国の児童労働によって生産された製品を買うのは控えようと言う不買活動は先進国を中心に度々目にする。彼らは児童労働削減を訴えかけて不買活動を行っている訳だが、この不買活動は本当に児童労働を削減する効果があるだろうか?

 この論文は比較的リーズナブルな仮定のもと、児童労働によって生産された財に対する不買活動は児童の労働供給を増やしうる事を理論的に示している。

児童労働を投入して作った製品A(例えば、ウズベキスタンの綿花なんかかな)と児童労働を投入せずに作った製品Bがあるとする。一部の人々が綿花Aに対して不買活動を行った時、綿花Bの価格は相対的に上昇するだろう(綿花Aの価格が相対的に低下)。

この時、綿花Aの生産に携わる家計がもらえる賃金は下がってしまうだろう。しかしながら、綿花Aの生産に従事している家計にだって最低限食ってくだけの賃金ってものが必要だ。しょうがないから何をするかって、より低い賃金でより多く労働供給することで最低限食ってくだけの金を稼ぐしかなくなるのだ。そのため、児童労働によって生産されている財に対する不買活動は自動の労働供給をより増やしてしまう事が有りうるってわけ。

http://foreignpolicyblogs.com/2008/01/28/uzbek-cotton/

4ページほどの短い論文でシンプルなロジックなのでそんな気もするんだけど実証的にはどうなんだろうと思うのが自然な感想だろうか。

少なくとも児童に労働供給させずに家計が生計を立てられる様な仕組みを考えたり、児童に労働させるよりは人的資本投資した方がリターンが高くなる様な環境を考えない限りは不買活動をしただけでは児童労働は減りませんよってのはある程度納得感はある。

そもそも児童労働を減らすべきかどうかはまた別のトピックではある。

2012年2月16日木曜日

XX学って役に立つの?



「XX学って役に立つの?」とはtwitterでもまま目にする主張だ。肌感覚で言うと、こうした主張の殆どはそのXX学に対する理解不足から生じている。

学部で学ぶミクロ経済学を例にとってみよう。学部の講義でサラッと齧っただけで社会とやらに出ると確かに「役に立つの?」となるかも知れない。色んな理論はよりシンプルなものから始め、徐々に複雑なモノが教えられる。物理だと最初に摩擦0の世界を想定するだろうし、ミクロ経済学だと完全競争市場から始めるだろう。しかし、こうした世界は現実の世界とは程遠い(様に感じるだろう)から、役に立つのか分からなくなる。こうした理論は物事の仕組みを単純化して理解を促すし、理想的な環境とはどんなものかと言う物差しを与えてくれる。確かに現実にそぐわ無い仮定に立脚しているかもしれないが、これで現実をうまく説明し切る事が出来ると考えている人も少ないだろう。

より上手く現実を説明したければ、実は役に立たないと思っている人達はもっと先まで勉強しなくてはならないのだ。



現実の世界には独占や寡占が存在する。それを分析したければナッシュ均衡を始めとするちょっとしたゲーム理論の概念を覚えなくてはならない。研究開発と技術進歩、ならびにそれらに牽引される経済成長を分析したかったらちょっとした最適制御理論を勉強しなくてはならない。

そう!ある種XX学に懐疑的な彼らこそ彼らの言う『現実』と言うものを上手く説明するためには、もっともっとXX学を学ばなくてはならないのだ。ある意味で『XX学って役に立つの?』と表明する事は『わたしはその分野に関して無知に近いです』と表明する事に近い。

IOの専門家のVarian先生なんてGoogleで働き出して久しいし、マイクロ実証のスター研究者 Bajari も休職してAmazonで働き出すみたいだ。 統計もしくは統計を応用する周辺分野で博士号を取得したひとの賃金もアメリカにおいては上昇してきている。みんなが大好きな apple にだって競争政策や独占・寡占を専門とするエコノミストがいるかもしれない。

ある学問を『現実に役立てる』には、相当な人的資本投資が必要なようだ。でも、もしかしたらそういう所に本当にクールで代替のきかないヤリガイある仕事がおっこちているのかもしれない。

2012年2月10日金曜日

初めて宇宙に行った女の子を知ってるか?


彼女はライカ、またはクドリャフカ.  世界で初めて軌道を周回した女の子.

クドリャフカは小さな犬だった
記録が古いせいか
クドの犬種はわからない
誰かは「雑種」だと言い
また誰かは「ライカ犬」だ
「ハスキー」だ「サモエド」だと言う

ASIAN KUNG-FU GENERATION が好きなんだけど、youtubeをうろうろしてたらこのフラッシュを見つけた. 「ライカ」と言う曲は好きな曲の一つなんだけど、基本的に歌詞に関心のないぼくは初めてこの曲の意味を知った. まあ、こちらの動画を観てから読んだほうが手っ取り早いかもしれない.



1957年11月3日 ソ連のスプートニク2号は彼女を乗せて宇宙へと打ち上げられた.

当時研究所ではクドと同じく
小さな雌の犬が20頭以上訓練されていたという
彼女たちは
ロケットで高度200kmまで打ち上げられ
パラシュートで降りてくる訓練や
数週間小さな気密室に閉じこめられるという
訓練を何度も受けてきた
その犬たちの中で最も
訓練の成績、体調などが良かったのが
クドリャフカだったのである




彼女を乗せたスプートニク2号は1958年4月14日、大気圏再突入と共に崩壊した.
大気圏再突入が出来る設計ではなかったのだ.
彼女の心拍数などを図る計器と10日分の食料を乗せて打ち上げられた.

彼女にとって最後の最後の食事は
いつも通りチューブで直接のどに押し込められた
睡眠薬と毒物入り特別食
酸素がなくなる前に
苦しまずに殺すという人間の「配慮」であった
彼女が苦しんで死んだのか
眠るように死んだのか
それは誰にもわからない
彼女の死を見届けたのは
命をデータ化する機械だけなのだから

このフラッシュは感傷的な気分になるようになるように作られている. 初めて観たときは好きな曲と言う事もあいまって「( ;∀;)イイハナシダナー」状態だったが、色々知りたくなって検索をしてみた.


当初、ソ連が発表した事実は、フラッシュにもある通り彼女は打ち上げから10日後に毒入りの餌によって安楽死させられたと言う事だ。
しかし、1999年には彼女はキャビンの加熱により打ち上げから4日後に死んでいたと報じられた. 
はたまたその3年後には、ディミトリ・マラシェンコフという当時の関係者が、実は彼女は打ち上げの数時間後に加熱とストレスで死んでいたと発表した. 結局、よく分かっていないのだ.


フラッシュの冒頭にも

ライカ、またはクドリャフカに関しては近年、死亡時期などの定説が大きく覆されつつあり実際にどうだったかは未だに明確にされていません.よって作品中の表現が必ずしも真実基づいているという保障はありません
しかし、それによってこれらのFlashや音楽の価値が失われる事は決してないと考えます.


とある. 
少なくともぼくの様な教養の足らない人間がこうして幾つか調べ物をする契機にはなったと言う事だ.  この曲の歌詞は コチラ など.

2012年2月8日水曜日

所得格差は文化や地理的要因で説明出来るか? Acemoglu Interview (1) Rethinking the Wealth of Nations


前回に引き続き Acemoglu のインタヴューを見てみよう。こちらは " Rethinking the Wealth of Nations" と題されたインタヴューの最初の動画だ。この動画で彼が答えている質問はこれだ。


"Why differences in prosperity among countries cannot be explained by simply by differences in geography or differences in culture? "

世界には未だにぶったまげるレベルで貧しい国がある。一方で私たちが住む先進国はまあ比較的豊かな生活を送る事ができている。この豊かさの起源とは何であろうかとは社会科学につきつけられている重要な問いかけだ。


■地理的要因で説明出来るか?



貧しいのは地理的要因のせいだって言うのはよく出てくる説明だ。地理的要因って言うとあげればキリがない。

農業生産に向かない天候の国だってある。輸送コストを考えると運河や港がある方が有利だが、これらが無い国も多い。クソ暑かったりクソ寒かったりすると労働者の生産性も落ちそうだ。熱帯地方だと伝染病が露骨に生産性を下げるだろうし、そもそも人的資本蓄積を阻害しそうだ(子供がガンガンしんだら元も子もない)予防に余計なコストを払わなくてはならないって言うのも不利だ。

さて、確かにこうした地理的要素は国が豊かになる事を阻害するが、この技術進歩目覚しい現代において埋まらない所得格差を説明しきるだけの説明力を持つだろうか?

ありがとう農学部、ありがとう工学部、ありがとう理学部etc.
現代の技術は以上にあげた地理的要因を乗り越えて様々な環境で様々なものを生産することを可能にしつつある。500年以上前は外生的にあたえられた地理的要因が農業生産の成果を決定的に決めていたが現代はそうではない。北海道でマンゴーを作る事 もできるし 砂漠で農業生産 に取り組み輸出国となっている国だってある。

何よりここ2,300年経済成長を牽引してきたものは農業ではない。それは産業革命以来の工業化だし、より現代に近づいてからは金融やITを始めとするサービスセクターの拡大だ。以上のような事を鑑みると地理的要因でこの埋まらない所得格差を説明し切ることは出来なさそうだ。


■文化の違いで説明できるか?


プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (一度も読んだことが無いことを告白しておこう )や 儒教・仏教など宗教や特定の地域に共有されている価値観などが経済発展を決定的に方向づけると言う意見も人気だ。

こうした文化と呼ばれるものが経済発展において重要な役割を担う事は認めているようだが、やはり彼は制度と言う物を強調したいようだ。彼は繰り返し attitude と言う言葉を用いているが文化は、人々の制度に対するスタンスに影響を与えるようだ。市場システムを信じるのか、独裁制や民主制に関してどの様に考えるのか。

しかしながら、実証的には宗教や文化に幾つかのプロキシーを立てて説明変数とし所得格差を説明しようとしても有意性が出ないことを彼は確認している。
分かりやすい反例は韓国と北朝鮮、香港・シンガポール・台湾と中国などの対比だ。これらの国は文化的にも民族的にも非常に共通したものを持っている。しかしながら、その豊かさは大きく異なる。異なるは何だろうと考えると政治的経済的な制度の違いだ。こうした制度の内生的な決定は何によってもたらされるだろう。少なくとも文化だけで処理は出来ないと彼は考えていそうだ。

2012年2月6日月曜日

アメリカはその地位を中国に明け渡すか? Acemoglu Interview (1) Innovation and Prosperity in the U.S.


Daron Acemoglu は MIT で経済学を教えている教授で、AER や QJE, JPE など一流のジャーナルに物凄い数の論文を掲載しまくっている研究者。経済成長理論や労働経済、政治経済学などを専門にしている。

彼が2000年以降、関心を強めているのが制度と豊かさの関係だ。彼に言わせると豊かな国と貧しい国を分かつ決定的な要因は(政治的・経済的な)制度の違いだそうだ。Innovation and Prosperity in the U.S. と題されたこの5分程度の動画では以下の質問に答えている。


" Will the U.S. lose its superpower status to China? "

彼に言わせると、取り敢えずこの先 several decades はそんな事は無いとの事だ。

アメリカは政治的にも経済的にも制度の質を高いものへと発展させてきてる。こうした制度は何かチャレンジをしようとする人々を増やし、新たなイノベーションの発生を促進し、より豊かな国になる様に働きかける。技術進歩と経済成長の関係を分析する内生的成長理論およびpolitical economy を専門とする彼らしい考え方だ。

経済的な制度は資源配分やそれに基づく競争環境を規定する。一方、政治的な制度は権力の所在とそれが如何に制限されるかを規定する。政治的な制度が脆弱であると一部の権力者による収奪が起きたり、そうした権力を奪取すべく内紛が起きたりする。また、経済学的には望ましくない政策が採択されたりもする。そのため、非常に不安定な経済環境に陥り成長が阻害されやすくなる。こうした側面から評価してみるとアメリカはgrowth enhancingで柔軟性のある制度を持っていると言える。

一方、成長著しいものの依然として communist system を採用している中国はどうか。
確かに中国政府は millions, billions の人々をイノベーションを生み出す仕事や質の高い大学、他国の技術を取り込む仕事にぶち込もうと躍起になっているが、実際にイノベーションが引き起こされるには政治的にも社会的にも、そして経済的にもより開かれた環境が築かれる必要があると述べている。
イノベーションの源泉となるR&D投資が行われる健全な競争環境(及び適度に独占利潤が守られる特許制度など)も必要だし、知識のスピルオーバーが円滑に行われる環境(オープンな貿易、スピルオーバーの伴うFDI、高付加価値の研究者の流出入etc)も成長にとって重要だ。標準的な成長理論から考えると、こうしたことをより開かれた環境と言っているのかもしれない。