2011年10月12日水曜日

ベストプラクティスはいつもベストか?

(画像はコチラから参照)


統計分析を行う上でしばしば注意しなくてはならない問題にサンプルセレクション・バイアスと言うものがある。
私たちがある集団Xに関して事象Yを統計的に主張したい時、最初にすることは何だろうか?もちろん、サンプルを集めることだ。このサンプル集めに偏りがある時、どういった問題が起きるだろうか?

例えばある日、講義に出席している生徒に対して日頃の出席率を調査したとしよう。仮に出席者たちが日頃の出席率を正直に答えたとしても受講者全体の出席率を正確に把握することは出来ない。
なぜか?たまたまその日欠席した受講者のデータが欠損しているからだ。そして、その日欠席している人たちは恐らく日頃の出席率も低い傾向があるだろう。この方法で調べた受講者全体の出席率は高めに出てしまう訳だ。




このように偏ったサンプルを大真面目に統計処理して導き出された主張は、しばしば過少評価、過大評価、はたまた全く意味のない主張となってしまう。


さて、MBAのコースなどでしばしば行われるケーススタディはこのサンプルセレクション・バイアスを回避できているだろうか?

『ベストプラクティスに学べ』

巷にはジョブスの語録や仕事術みたいな本が溢れかえっている。確かにジョブスは偉大だ。これは疑いようがない。しかしながら、我々が見聞きするベストプラクティスを提供してくれる企業や偉人はどんな集団だろうか?明らかに生存者バイアスが掛かっている。ブライテストな集団が生き残り、ベストプラクティスが世間に広まる。

ベストプラクティスを提供してくれるブライテストな企業の事例ばかりを見ていてもそれはごく限られた集団の特性を拾っているだけで、例えばコンサルタントやMBA取得者、政策決定者が向き合わなくてはならない『その他大勢』の企業の特性に合う示唆を提供しているとは言えない。

偉大な成果から学ぶことは否定されないが、ブライテストじゃない集団がベストプラクティスをそのまま鵜呑みにしたところで失敗の可能性がある事に、少なくともバイアスがかかっている事には自覚的でなくてはならない。

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